スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

暗闇の千本ノックといえば・・

  • 2010/07/27(火) 23:41:39

新打撃論 長嶋茂雄が語る(1)
ー燃えた、打った、走った!


いろいろな選手の打撃論を紹介していますが、今回は意外な方です。

砂押監督が亡くなられて「月夜の1000本ノック」というフレーズが新聞を賑わしましたが、まさにそれを受けた本人が「長島茂雄」です。

彼の自伝「燃えた、打った、走った!」から引用させてもらいます。
1974年11月5日初版 引退してすぐに出版された単行本です。私はヤクルトファンの親父の影響で、どちらかというとアンチ巨人であったので、王さんや長島さんに一喜一憂したことはありませんでしたが、まさに野球といえば、この二人はスーパースターでしたね。

現役時代を知らない人も多いかもしれません。40才後半ぐらいでしたら小学校での記憶があるかもしれませんが。それも往年の長島選手ではありませんでした。まさに徳光さん、団塊の時代です。

千葉出身であることは知られれいますが、中学でも、体は小さくとも、足は速く運動神経は抜群、有名高校からの誘いもあったようですが、通学が近く中学からの兄弟校の佐倉一高への進学。ったと自分を語っています。

打撃は大物打ちであったが守備はからっきしダメであったそうだ。

大学進学も、当時から立教大学は「鬼の砂押監督」が有名で、他の大学を考えていたが、立教大学から秋のキャンプの誘いがあり、それがやはり嬉しくて参加。杉浦、本屋敷選手もいて、その時はあこがれであった。そしてその流れで立教大学へ進学した。

高校の頃はショートであったが、エラーやトンネルが多く当時の監督がたまりかねて「サード」へ代えてそこでのファインプレーからそれ以降はサードであった。



打撃に関しても語られている箇所があるので紹介すると。
金田投手の4打席4三振は本当に悔しかった。布団をかぶって寝ようにもつい昼間のあの無残なシーン(三振)が思いだされて、がばっとはね起きて、それと同時に壁に立てかけてあるバットをワシ掴みにして構える。しばらくして布団をひっかぶる。またがばっと起きる。そうこうして、ひょいっと気がつくと窓から日差しが差していた。

金田×長嶋 4三振 短いですが当時の映像です

僕はうれしいことはすぐ忘れてしまうが、つらいこと、苦しいことはいつまでも残る。僕にとってはショックはおおきすぎた。
ただ、一つの救いは、三振を恐れず最後まで向かっていったことだ。三振がいやなら、バットをあんなにフルスイングせずにミート本位でいけばよかったかもしれないが、その気がさらさらなかったことがこじつけではあるが救いだった。

その当時のバッティングは、ボールをうんと引き付けて打つ打法が圧倒的に多かった。
腰の回転を使って打つやり方である。

しかし僕のバッティングは違っていた。
腰の回転はもちろん使うが、それよりも打つポイントをずっと前において、打ち抜いていくバッティングだった。
(つづく)
スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。