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並からの出発

  • 2007/10/25(木) 23:40:19

今年の夏の甲子園の「佐賀北高校」の優勝は見事でした。これだけ無名校であればフロックだといわれがちですが、秋の国体でも勝ち上がったのですから、実力もさることながら非常に心がけはよく、「ひょっとして野球の神様が何としても勝たしてあげたかったのでしょう」 絵文字名を入力してください

今回は、少し前ですが記憶に残っていますか、あの長崎県「清峰高校」です。この監督について書かれた記事をクリップしておいたものを紹介します。



平成19年10月6日(土) 日本経済新聞
長崎清峰高校野球部監督 吉田洸二 

「なんとかなるさ」 ドン底からの・・・・

2001年の監督就任時、長崎県立清峰高の吉田洸二は自動車学校の廃車寸前の小型バスや卵の差し入れなど借り物競争をしているようだった。
 部員10人、年間予算15万円、中学の有望選手は無名の公立校など受験してくれない。しかし借り物競争におあつらえ向きの腰の軽さがあった。

 05年の夏、初めて甲子園に出たときの三塁手、野元淳一は中学の試合で「あの人、また来てる」と気になってしかたなかった。それが吉田だった。「笑顔だけみせて帰る。それを繰り返しただけ」。一流セールスマンの本から借用したスカウティング術だ。

帽子の裏に「並」と書き「私は並の人間。人の力を借りないと何も出来ない」と弱さを隠さない監督に、人口1万4千人、過疎が進む炭鉱町の人は引き込まれていった。
 メンツなどないから、他校の練習法もなりふり構わず拝借できた。鳴門工(徳島)の長さ1M重さ1.2kのバットを使った練習、済美(愛媛)のゴルフボールを細い鉄棒で打つ練習。県大会の初戦で敗れていた高校が05年の甲子園で、愛工大名電、済美という直金の選抜優勝校を倒した。二度目の甲子園の06年春は準優勝した。

 弱小校が一転、公立の星になった。「名将あり」と、黙っていても逸材が入ってくる。部員80人と戦力は厚くなり、寄付金で1500万円の新車のバスも買い「甲子園常連校」にまっしぐらのはずだったが・・・
苦い記憶がある。メモ魔の吉田が「今日は負けられない」と記した06年夏の甲子園、福井商戦だ。初戦で22得点を挙げて迎えたこの試合、絶対有利の前評判に、柄にもなく「負けることの恐怖」を覚え、敗れた。今夏も「受けに回って」県大会で敗戦した。

 新チームで再出発。猛暑のなかバスの冷房を切り汗だくになってみた。おんぼろ車の挑戦者時代に戻れるはずだったが、贅沢を知った身には「なかなか」。またドン底から始めるしかないか、とも考えている。(おわり)


さて、私も同じテーマで書いちゃおうテレる~
■「並からの出発」
はっきり言って今の私は、余暇と言っては何だが、非常に恵まれた週末を過ごしている。
少ない小遣いを使うことなく、怒ったり笑ったり、おまけに体まで動かさせていただいている。
余暇のスポーツはスキーもやった、ゴルフも、テニスもやったがどれも楽しかった。ただ余暇として野球はやったことがなかったが、どういう因縁かまた野球に戻ってきた。正直数年まで毎週やっていたテニス仲間と日曜日に会わなくなるとは思いもよらなかった。

 スポーツ中継でも、プロ野球も高校野球ですら何かをしながら流して見ることはあっても、真剣にテレビを見いるようなことは、20年ぐらいは無かった。

 それでも子どもにはサッカーでなく野球をしてほしかった。
 それなりの郷愁を感じていたかもしれない、子どもには自分が果たせなかったこと(甲子園や大学野球 ひょとして・・・)を、夢として託したかったかもしれない。
 いやきっとそうだったのであろう。
 現にたかが少年野球にしては、家での自主練習は厳しい。
 これで子供がこれから野球をやめれば、おやじに対していい思い出はないかもしれない。 
 嫁があきれるはずである。
 
 それでも私は熱くなっている!
 鳶(とんび)が鷹を生むことは稀であるけど。
 鳶を鷹にちかづけることは努力で出来ると思っている。
 
 でも,私は息子よりチームのが並でいて変わろうとしていないのが気になっている。
 このチームはまだ努力をしたとう形跡がないからである。
 
 ある金メダリストの言葉を思いだします。
 「常識を信じていたら金メダルは取れない。
  非常識なことをやるから勝てるんです。」
 

 チームもグランドに恵まれながら並の殻を破れない。
 クラブ員さえもっといれば、クラスを分けて試合も練習もできるはずだが、私の知る限りでは“学童か少ないからしょうがないねで終わっているなさけない
確かに市内の14?の小学校では全校で約300人ぐらいは本校だけであるけれど、特別スポーツに偏りのないこの地区でサッカークラブが30数名で、野球が18名というのは努力不足であるというのが私の認識である。

 また、親も子どもも自分達が6年生になった時試合が出きることに安堵してて、勝ち進んでやろうという我武者羅(がむしゃら)さが伝わってこない。
 休みだというと、親は「ハイ そうですか」のごとく何も言わない。
 子どもだって練習やりたいとは言わないようだ。
俗にいう「野球小僧がいない」

 低学年の子にちゃんとしたコーチがつかないのも問題だと思う。
 その子たちが面白いといって自然と友達を誘う雰囲気か大事だと考える。
 
 自分だけでは何ともならないことも十分承知だ。
 また、実際子どもだけをその気にさせるのは環境という壁がある。

親を同じ思いにさせるるよう何とか引き込もう!

 私は1人でも子どもを連れれ自主練習を、チームが休みの間も出きる限りしています。
 監督、コーチがいなくたって練習はできることを無言で伝えていた。
 声をかければ来てくれる子も増えてきました。

 ひょっとしたらチームも変われるかもしれないよという予感もあります。
 

 並だから、こそ上を目指す楽しさがある 

 原石は数は少ないけどゴロゴロしてるんだよ 
 ダイヤモンドにならなくても立派にどこかで光るものにしてあげたい

そして
ーそして数年後には並のチームはではなくなっているために、来年はまず一歩を踏み出しますー  バナ

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